
野球の指導や戦術において進塁打(チームバッティング)は不要な理由【提案】
こんにちは、辺野もへじです。
今回は野球に関する所感になります。
私は小学校から高校まで野球を続け、大学、社会人では草野球をやっておりました。
今はプロ野球や高校野球を見る専門ではありますが、その中でこうした方が良いのではないか?という提案をさせていただきます。
進塁打(チームバッティング)は不要
進塁打というのは、例えば0アウトランナー2塁の時に、わざと右方向(1塁側)にゴロを打ち、2塁ランナーを3塁に進めるというものです。
これは昔から指導されてきた野球のセオリーであり、プロ野球でも未だに使われています。
進塁打を打った選手は自己犠牲の精神でランナーを進めたと褒められます。
私はこの風潮に「NO」を投げかけたいと思います。
理由は3つあります。
- 戦術面:打てたはずのヒットをなくす
- 精神面:打者に逃げ癖がつく
- 成長面:野球は楽しむことが大切
それぞれについて説明していきます。
戦術面
1つめは戦術面
打てたはずのヒットをなくす
0アウトランナー2塁、あなたが監督と仮定した時、あなたは「最低」でも右方向に打ってランナーを進めてほしいと考えるのではないですか?
その考えは捨てましょう。
1アウトランナー3塁より、ヒットで1点入る方が良いのは誰でもわかります。
しかし、「進塁打を打たなければ」という意識が打者本来の力を抑圧してしまいます。
打者が委縮してしまい、打ち損じを誘発する
右方向にゴロを打つために、変な打ち方になる
このような状態では、たとえボールがど真ん中に来ても、ヒットを打つ確率が下がってしまうことは誰にでもわかります。
現に私が現役時代はそうでした。
真ん中のボールにも関わらず、無理に右方向に打とうとして腰を引いた変な打ち方になってしまうことが多かったです。
狙い通り打てればまだマシです。
最悪の場合、変な打ち方をした所為で、カーブを引っかけてしまいサードゴロでランナーを進塁させられなかったり、三振をしてしまうという結果になることもありました。

進塁打という意識は打者の能力を抑圧し、得点力を下げる
精神面
2つ目は精神面
打者に逃げ癖がつく
0アウトランナー2塁、あなたが打者と仮定した時、あなたは「最低」でも右方向に打ってランナーを進めれば良いと考えるのではないですか?
その考えは捨てましょう。
きっと監督やチームメイトは進塁打を打ったあなたにこう言うでしょう。
「進塁打OK!ナイス進塁打!」
それは甘えです。あなたは勝負を逃げて後続の打者に責任を負わせたのです。

自己犠牲で後続の打者に託した訳ではありません。
投手との勝負に負けたから、アウトになっただけなのです。
進塁打を称える風潮は打者に逃げ癖をつけてしまいます。
打者は最初からヒットを狙わず、進塁打を狙うようになる
成長面
3つ目は成長面
野球は楽しめない
メジャーリーガーのダルビッシュ有選手がテレビ番組にて、野球の競技人口が減少し続けている現状について語りました。
指導者が小学生にバントをさせている時点でやらない。僕が今の時代に子供として生まれていたら、多分やっていないと思います。
普通に打って、好きに楽しんで、投げてをやれるスポーツならやりたいなと思う
林先生の初耳学 インタビューより

進塁打に関してもバントと同じではないでしょうか?
もしも0アウト2塁でサードゴロやショートゴロ、フライを打って、ランナーを進められないものなら、監督やコーチから怒られる。
怒られなくても、右方向にゴロを打つように指導される。
そんな窮屈な想いをして、野球を楽しめるでしょうか?

プロ野球ならまだしも、小学生や中学生の試合で進塁打を打たせるのはナンセンスだと思います。
人は失敗から多くのものを学びます。
打てなかったら、なぜ打てなかったのかを考えて、次の打席に立ちます。
しかし、最初から打てないフォームで打ってしまっては何も得るものはありません。
特に子供は失敗と改善を繰り返しながら成長していくものです。
そのチャンスを1打席でも多く与えるのが、指導者の務めではないでしょうか?
それにせっかく打席が回ってきたのなら、子供は自由に打ちたいと思います。
だから私は声高に主張します。
「小さい頃から自己犠牲の精神を強いるな」
進塁打は成長の阻害要因となる
まとめ
①戦術面:打てたはずのヒットをなくす
→「最低でも進塁打を打つ」意識が打者の能力を抑圧する
②精神面:打者に逃げ癖がつく
→ヒットを狙わずに、最初から進塁打を狙うようになる
③成長面:野球を楽しめない
→失敗の経験値が溜まらず、成長を阻害する
あくまで私個人の意見です。
もしこの記事をご覧になった方で野球に携わる方がいらっしゃれば、一考していただくだけでもありがたいです。
それではまた。